数年前、ebayにとんでもない出品があった。
"Gnaphaloryx stigmatifer De Lisle,1974のParatype"だと。最初は信じられない気分だったが、外見から大変変わっており、見間違う事は有り得ない。
様々な博物館所蔵物を見てまわったが、私的には此の種のホロタイプ以外を所蔵する博物館を全く見た事が無い。タイプ以外の発見例も知らない。約50年前に記載されて以後、採集された話も全くなかったから偽タイプという可能性もほぼ考えられない。
つまりもちろん生体が日本に入ってきた事が無いばかりか、死骸すら他で管理されているという話も全く無かった。
パラタイプは、どうも或るコレクターの遺品を買い取った人がカミキリムシ専門でクワガタに興味がなく、安価でebayに出したらしい。誰に落札され何処に行くか全く予想が付かない状況であったため、多少無理をしてでもと高額で入札し首尾よく落札した。仮にパラタイプでなくとも替えが効かない予感がしたからという理由もある。
(全景は載せないが"パラタイプが存在していたなんて"と現物を最初に見た時は戦慄し唖然とした。採集時期はホロタイプと年が異なる。サイズも二回りくらい此方の方が大きめで約17mm。ちなみに交尾器を摘出するため再展脚済)
実物が届いてすぐに写真を撮り再展脚を行った。体表が結構汚れていたので拭き取ると、見違えるような印象の見た目になった。光沢の強い部位もある。交尾器形態も特異的。原記載スケッチでは分からない外形特徴がある事も分かった。
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"Gnaphaloryx stigmatifer"が何かと言うと、1968年の頃にブーゲンビル島で採集され、仏国の昆虫学者 Melchior Olivier de Lisle氏によって種記載された15mm程度のクワガタムシ科分類群。現状ブーゲンビル島以外での記録も無い。
(「 de Lisle, M., 1974. Troisième note sur quelques Coleoptera Lucanidae nouveaux ou peu connus. Revue Suisse De Zoologie 80(4):785-804.」より引用。ホロタイプ図。同個体は体長14.5mm。パラタイプの実物を観た感じでは原記載スケッチは割と正確と考えられる)
原記載ではホロタイプのみで記載され、パラタイプ指定の記述はなかった。一頭で記載された形だったのは時代考証的にまぁあり得たとして、だからパラタイプの実在には驚きだったが、恐らく此れは記載当時の命名規約への解釈が未だ社会通念的には不安定だった事からと察した。
ちなみにホロタイプはハワイのビショップミュージアムに所蔵されている事が同博物館のホームページで記述されてある。
なお"パラタイプ"の本個体にも"ビショップ博物館"なるラベルが付いてあった。ホロタイプと共に博物館に置く予定だったのを辞めたのか全く不明だが、結局は私蔵から出てきた。Lisle氏が生前集めた資料群を子息が他のコレクターに売り込んでいた事が、稲原延夫氏による記述から読み取れる。前の所有者がLisle氏から買取った個体と推察される。
( 「稲原延夫, 1982. クワガタとともに40年、昆虫と自然,17(10): 18-23. pl.」より引用。稲原氏の推敲される文章はいかにも日本人による日本語らしい雰囲気で懐かしい気分になる。稲原氏に関する伝記は書籍に残っていないものもある。伊国より稲原氏宅に訪れた某著名クワガタムシコレクターは札束を見せて「持っていない種を譲ってくれ」と懇願したそうだが、稲原氏は1頭たりとも譲らなかったそうな。稲原氏と交流があった分類屋の友人より聞いた話)
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これまで出版された日本国の文献では、原記載スケッチを引用図示する書籍が見られないが、ネット上で検索すると以下の記事にヒットする。
https://fanblogs.jp/anotherstagbeetlesofworld/archive/407/0
此のように、"Gnaphaloryx pollinosus De Lisle, 1973"と"Gnaphaloryx stigmatifer"はシノニムの関係とする人もいたが、"Gnaphaloryx pollinosus"の基産地は海岸に近い低標高、"Gnaphaloryx stigmatifer"は内陸山地の標高2000m〜で採集されたような記述になっていてポイント自体は結構異なる。


(左:「Mizunuma, T., & Nagai, T. 1994. The Lucanid beetles of the world. Mushi-Sha Iconographic Series of Insects. H. Fujita Ed., Tokyo 1:1-338.」より引用。 "Gnaphaloryx pollinosus"のホロタイプは汚れているように見える)・(右および下:「 de Lisle, M., 1973. Description de trois Coléoptères Lucanides nouveaux. Nouvelle Revue d’Entomologie (Nouvelle Série) 3(2):137-142.」より引用。頭楯の形は原記載スケッチの方が分かり易い)
Timidaegus属への分類は恐らく妥当かと思うものの、基準種T. variolosusと実物比較すれば全く異なった系統のように見える。ただしGnaphaloryx属でない事が確定的とは考えられた。Timidaegusの系統は歩行特化の形になってある。
(パプア・ニューギニアのTimidaegus variolosus。最近ではAegus属に分類する人もいるみたいだけど全然違う。同地から近縁だろう不明種も1ペア手元に置いてあるがTimidaegusの系譜は種ごとに相当な差異が見られる。いずれも分化の時代が古い予感がする)
(Timidaegus variolosusの♀頭部アップ。"Gnaphaloryx pollinosus"とTimidaegus variolosusの♀は奇形でも無い限り頭楯で見分けられる)
"Timidaegus pollinosus (De Lisle, 1973)"で良いのかどうかは、現地で再採集しそれぞれ個体数を準備し、各タイプ個体群と比較検討する事が最低限必要と考えられる。
"Gnaphaloryx pollinosus"は♀のみで記載説明され、"Gnaphaloryx stigmatifer"は翌年に♂のみで記載説明されたから、確かにシノニムの可能性もありうるが、現地で追加採集・再調査がなされていない時点では、本来なら"どちらが正解か分からない"という話にしか至れない。"Gnaphaloryx pollinosus"のタイプが本当に♀か否かも確かめられていない。
"Gnaphaloryx pollinosus"はTimidaegus variolosus Bomans,1988の♀とよく似るが、頭楯が二又状か三叉状かで判別可能。昔に標本商の友人がパプア・ニューギニアで採集した♀に"Gnaphaloryx pollinosus"があるんじゃないかみたいな話を聞いて調べたが、其れはやはりT. variolosusと考えられた。
またブーゲンビル島からは"Aegus pulverosus Benesh,1952"の記載もあり、其れについて原記載を読んでみた感じではガダルカナル島のMicrolucanus greensladeae Bomans et Bartolozzi,1993にサイズも見た目もかなり近そうな表現だった。
(ガダルカナル島産Microlucanus greensladeae♂個体。サイズも"Aegus pulverosus"に近い)
ブーゲンビル島は治安の問題で入域が極めて困難な場所になって久しい。付近のブカ島に寄る事は可能だが、例えば外国人観光客がブーゲンビル島に入るのは厳しめに制限されてあるらしい。 昔から同島での採集渡航例が少ないのは理由がある。
今回のパラタイプは、実物を観てみたいという欲求もあったが、其れ以外にも義憤に駆られて落札した気分だった。
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近縁らしき見た目の不明種が実はオーストラリアにも分布する。コツノクワガタとチビクワガタの中間のような形態でありつつ、ブーゲンビルの特産種と近縁性を考えさせる。
白亜紀にもこういったクワガタムシがいた事が、私的に集めた琥珀からだが推定される。とても旧い系統なのだろうと、悠久の時の流れに想いを馳せる。
【References】
de Lisle, M., 1974. Troisième note sur quelques Coleoptera Lucanidae nouveaux ou peu connus. Revue Suisse De Zoologie 80(4):785-804.
de Lisle, M., 1973. Description de trois Coléoptères Lucanides nouveaux. Nouvelle Revue d’Entomologie (Nouvelle Série) 3(2):137-142.
稲原延夫, 1982. クワガタとともに40年、昆虫と自然,17(10): 18-23. pl.
Mizunuma, T., & Nagai, T. 1994. The Lucanid beetles of the world. Mushi-Sha Iconographic Series of Insects. H. Fujita Ed., Tokyo 1:1-338.
https://collections.tepapa.govt.nz/object/128573
Bomans H.E., 1988. Inventaire d'une collection de Lucanidae récoltés en Nouvelle-Guinée et descriptions d'espèces nouvelles. Nouvelle Revue d’Entomologie (Nouvelle Série) 5(1):5-16.
Benesh B., 1952. Description of a new species of Aegus from the Solomon Islands, with remarks on other stag beetles , The Pan-Pacific Entomologist 28(3):136-138.
https://www.biodiversitylibrary.org/partpdf/237406
Bomans, H. E., & Bartolozzi, L., 1996. Description of Microlucanus greensladeae n.gen. n.sp. from the Solomon Islands and check-list of the stag beetle fauna of Bougainville and the Solomon Islands. Tropical Zoology 9:213-222.
【追記】
此のレベルの資料が博物館に入らないでネットオークションに出てきてしまった事実には、流石になかなかの絶望感があった。誰かが新しく採集したものではなく、遺品から不特定多数向けの販路に出てきてしまうとは。
上記引用文献で稲原氏も似たような感想を述べられていたが、本来このレベルの資料が遺品からアマチュア間で出回ってしまうというのは気分の曇る話。
化石種なら"誤同定や贋作が怖いから"という理由があったりするから館側の気持ちも解るのだけど、ハッキリした現生種で此の状況というのは結構ショックだった。再採集がどれだけ大変な種か理解されてなさそうと。
こういう資料は生前の元所有者かまたは受け継いだ御遺族の方が博物館に売り込みをかけてある事が普通である。つまり再度、頼みの博物館につっかえされてしまったのだろうと察した。
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実際の他例として、とある有名採集家がebayに氏自身の採集で記載に関わったカミキリムシ科甲虫のホロタイプを出品した事があり、其れまでに私自身資料提供でお世話になっていた手前もあったから親切心で「ホロタイプ出品は信用を無くすうえ極めてよろしくない。すぐさま取り下げるべき」と様々な理由を添えて忠言のメッセージを送った話がある。
其の採集家からは「しかし博物館が買いとってくれず資金難で泣く泣く出品したんだ」と返答があり、しばらくして出品は取り下げられた。色々慰める感じで話したが、まぁ酷な境遇を色々聞かされると、どうしたものかと悩ましい気分になる。ホロタイプの私蔵なんて全く意味が無い。
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博物館では"寄贈"の文字は頻繁に見られるが、"買取"の文字は徹底して見られない。"博物館に無い資料がタダでくれるなら欲しい"みたいな言い方になってある。
https://x.com/dydzzp59vt2lsgg/status/1828102013026242848?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw
https://x.com/wb_opus_1/status/1827420426114662595?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw
訪れた博物館で案内してくれた学芸員の人に直接質問してみた事も結構ある。とりあえずどの博物館でも共通していたのは、"博物館の持つ資金でコレクションの買取はやっておらず、誰か、或るいは何処かの企業が買い取ったものの寄贈を受け入れるかどうか"だった。再現性の高い感じだったので、同じような質問をして同様の回答を得た人達は結構いるんではなかろうかと推察する。
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日本国内で大コレクターと呼ばれていた人も、博物館から買取の話が来ていたのに反故にされた事で相当ショックを受けられたとの話もあった。
分類屋の友人は"決して無償の寄贈をしてはならない"とご家族に伝えられる。
ときおり分類屋の友人宅に寄らせてもらっては、4〜5時間程度状況について議論する。転売屋問題についても。
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国内採集品等は無償で寄贈したいという人達も沢山いて所蔵スペースが既に無いという問題を抱える所も結構沢山ある。標本商の友人は博物館に入れた事で死蔵になる懸念をされる。
"マルガタクワガタ属で1頭1万円出るか出ないかかなぁ"という人もいれば、パリの有名な自然史博物館の人はebayで原産国人が出している最低価格を参考にしていた。全てと言って良いくらい何処の博物館も資金源を外部からの寄贈に頼っているらしかった。買取例は今や耳にする事が無い。
なんとも理不尽な話に私は友人達の顔を思い浮かべながら「それだと納得しない人が結構いるような気がするけど、、」とコメントしたが取り付く島も無かった。
一番切実な雰囲気で説明してくれた本邦の先生は、「とにかく費用が降りない。研究費として買取という事も難しいんです」という事を色々な事情を交え涙ながらに説明して下さった。
だから私は"なるほど大変なんだなぁ、、"と同情する事はあったが、どうしても我慢出来ない疑問が残ってはいた。見ず知らずかもしれない他者の私蔵とはいえ、公のお上は個々人が集めた自然史関連資料の財産を何と思っているんだろうかと。其れで事務的な事を調べ始めた。
https://x.com/himuro398/status/1828279848755990973?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw
確かに、奈良の某センターや転売屋等が珍しいめの虫を積極的に集めていた時はデータの怪しげなものも全て吸収の感じでよくない雰囲気に見えた。だからアレの二の舞を避けたいのは解る。しかし庶民の財産をタダや底値同然みたいに言ってしまうと、公に収められてある財産の信頼も落ちてしまうと考える。
https://x.com/harimokawaii/status/1827554699635012010?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw
馬鹿高いのはどうかと思うが、馬鹿安さを強制するのも同様に堅気の発想とは思えない。転売屋有利な状況にしておいて何が"寄贈して下さい"なのか全然理解出来ない。大富豪みたいな人達を騙そうとしているという事なのだろうか。そもそも他人の財産を掠め取ろうという感じが何か全く納得行かない。
https://x.com/satetu4401/status/1827665039916150807?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw
https://x.com/totalworld1/status/1828273734051827803?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw
まわった博物館は何処も想像以上にデータに拘っていた。採集データが分からないものを手放す事に躊躇ない博物館もあったが、採集データの付いてあるものはいずれも手放す事が出来ないと。其れにしては"誰かが勝手にデータラベルを挿げ替える問題について対策が出来ていない"と悩む学芸員の人もいたが。。
https://x.com/takuramix/status/1827446874414182426?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw
だから確かに"研究費が降りないから買えない"という理屈は現実で通っている事が解る。しかしそうなら"なぜ研究費が降りないのか"という部分を考るべき事になる。ネックになっているのは、やはり沢山出てくる論文の内容等がどれもそれも胡散臭いという現状だと考えられる。それでどうやって国民に納得してもらおうと言うのかと。
https://x.com/spine_surgeon_/status/1827456373501657364?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw
競争を無理矢理けしかけるような政策で状況は厳しいのかもしれないけど、其れでもやはり疑似科学や転売屋と親和性の高いような態度の人達が科学業界に対する信頼の破壊とリカバリーの邪魔をしている事実は変わらないと考えられる。公金問題にも甘々な姿勢、"税金を庶民に上手く還元せず、ただただ独占的に利用したいから"という下心があるのかどうか、訝しまないではいられない。
https://x.com/himasoraakane/status/1828074697667616921?s=46&t=6MVYq5Ovmu_MXJ16l5mXpw